医-ラーニング

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阪神淡路大震災を思い出した大阪の地震

地震

どうも。しよです。

遅ればせながら18日朝の大阪の地震についてです。

いやー、びっくりしましたね。

大阪で大きい地震があるなんて。

 

18日朝

17日に友人の結婚式でたまたま山陰におりまして。

家族も関東の方へ行っておりました。

自分は18日お昼の高速バスで関西地方に戻る予定にしていたのですけども

18日朝、少し揺れたので地震かなと思って怯えていると

速報で大阪で地震とケータイに通知がありました。

そこからはTVに釘付けです。

 

自宅も心配だし、そもそも帰れないかもしれないし。

また、友人たちから『大丈夫?』というLINEもバンバン入ってきて、ますます不安に。

その日に関東から帰ってくる予定にしている家族のことや

友達のことも超気になる。。。

 

高速バスの運行状況を調べていると

先の便は迂回で運行しているということがわかり

とりあえず、高速バス乗り場まで行ってみました。

 

が。。。

 

窓口のおばちゃん曰く

『被害がどんどん拡大していて大阪との電話も通じない

 高速道路も通行止めで、先に出発しているバスもかなりの遅延

 明日も復旧できるかどうかわからない。』

ということで、おばちゃんがプチパニック。

いやいや、こっちがパニックよ。と思ったけども。

こんな経験ないですもんねぇ。みんな。

予約していたバス以降が運休となったようで

返金処理をしてくれました。

 

そして新幹線も在来線も止まっていたので帰ることを早々に諦め、

ホテルに予約をしました。

 

諦めるの早い?

家族も関東から新幹線が止まってて帰れないってことらしく、

急いで帰る必要がなくなったってことと

おまけに余震が続いているということで、帰るのが怖かった。

というのもあって早々に帰るのは諦めました。

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阪神淡路大震災

どうしても思い出すのは阪神淡路大震災

当時、神戸にいたので地震はトラウマ。

 

1月17日未明。

ごーーーーーって地鳴りがして突き上げられるような衝撃。

その日、1人でいて何が起こったかわからず動けないでいました。

ベッドの位置も動いていたし、電話は通じないし、部屋はメチャクチャ。

そうしているとナゼか隣の家の看護師さんが助けに来てくれました。

 

玄関のドアをどんどん叩き、 

『しよちゃん!貴重品持って出ておいで。避難するで』

と。

 

それで我に返りました。

ほんとその看護師さん、命の恩人。

ナゼ助けに来てくれたのか、今となってはすごいナゾです。

 

しかし。。家の中から出るのも大変で。。。

家具が倒れて中身も散乱してるし、部屋はメチャクチャで

その看護師さんの元へ行くまでに、モノをかきわけ

倒れかけた棚を起こしながら進んでいく…

『貴重品ってどこまで??』

とか思いながら、とりあえずさっと着替えて、

財布と次の日学校に持っていかないといけないプリントを持って出ました。

どうしてプリント持ってったのか。動揺しすぎ。

 

今から考えると貴重品だけでは全く足りませぬ。

懐中電灯すら持って出てなかったので

いろいろ持って出たらよかったなぁと今なら思いますが

その当時はそんなすごいことになってるとも思わないし、

すぐ帰れるくらいのつもりでいましたので。。。

 

塀が倒れて道へ出られなかったので、

隣の庭を通らせてもらってから脱出し

その隣の庭でおじさんがラジオを聞いていて

地震やで。えらいことなってるで』

と教えてくれました。

 

近くの避難場所である学校に行くと

『建物が倒壊しているため余計にあぶない』と。

 

暗い中に赤く光っている方角があり、火事が起きているのがわかりました。

そっちの方面から逃げてきた人もいました。

それでも状況がほとんどわからず、さまよった挙句、

いつの間にか看護師さんともはぐれてしまって

商業施設の平面駐車場で明るくなるのを待ちました。

駐車場には何もないので何かが倒れてくる心配もないし

他にも人がたくさんいたので少し安心。

けど寒かったし、ひたすらこわかった記憶です。

 

空がだんだんと明るくなってくると、暗い時にはわからなかった状況が見えてきました。

ビルがナナメに傾いていたり、家が倒壊してガレキの山になっていたり。

1階が駐車場になっているとこは軒並み倒壊しているように思えました。

住宅だけではなくマンションも商業ビルも1階が駐車場のところが倒れてる。

近所の友達の家が1階が駐車場のマンションなので心配になってきました。

 

お財布と一緒に持って出たプリントは

前日、その友達と一緒にした宿題だったんです。

それもあって、その友達がすごく心配になり

友達を探しに行ってみようと商業施設の駐車場を出て

その友達の家の方へ向かいました。

 

家が倒壊していてガレキのそばで

『中にまだいるから助けて』

と叫ぶ人がいたり。

そういう時に無力な自分を実感しました。何もできない…

 

コンビニもガラスが割れて商品も床に落ちてめちゃくちゃになってましたが

全ての商品を100円で販売していました。

そこに探しに行った友達が並んでいて感動の再会。

コンビニに並ぶなんてたくましすぎるやろー!

 

そこからはその友達の家におじゃまさせてもらってしばらく過ごしました。

水も出ないし、電気もつかない、何より余震が怖い!で

近くの公民館みたいな避難場所へ行くと

『定員オーバーで他に行ってー』

と言われて入れない。

 

家にいるしかないということになって

少し強めの余震が来ると外に出て、また入って、、、

というのを繰り返しました。

 

友達の家の窓から見える方角が赤く光っていて

昼間なのに火事の煙で空は黒く

雪みたいな灰が空から降り注ぎ 

こっちまで火事が来ないかととても不安でした。

余震も何度もあるし、めっちゃ怖かった。

 

そうこうしてると日が暮れて夜になり、友達のバイト仲間が救出に来てくれて

そのまま地震の被害が少ない地域へみんな一緒に連れてってくれました。

電話がつながらないのによく来てくれたなと。

今思えばすごい。

 

移動した場所は同じ神戸市内でも

少し場所が違うだけでこんなになにも被害なし?

と思うほど電気も水道も何も通常通り。

そこで初めてTVを見て愕然としました。

えらいことなってるやん!と。

  

写真を撮ってなかったことをとても悔やんでいます。

記録として残しておいた方がいいと思いました。

教訓です。

それ以外にも懐中電灯等の防犯グッズの用意。

そしてお風呂の水はいつもためてます。

家族との集合場所も決めてます。

 

最大の後悔は看護師さんにちゃんとお礼を言えないままになっていること。

これは探偵ナイトスクープにでも頼むしかないよなー。

けど、あの時神戸にいた人たちはそんな人いっぱいいるでしょうね。。。

 

その後もいろいろありました。

TVでよく流れる地震のその後という記録に残っているようなことです。

気持ち的にもイロイロありました。

電車は地鳴りの音に聞こえてしばらく乗れなかったし

少しでも揺れると自分も震えて動悸がするし。

もう20年以上経ち、だいぶ記憶も薄れました。

地震もその後何度かあり、もう動悸もしなくなってきました。

ただ、今回のは久々に鮮明に思い出してしましまいましたね。

しんどくなってきたので、このへんでやめます。

 

被災された方々のご冥福をお祈りいたします。

 

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